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SIDE天職

エム・ディレクションに関係の深い
最高にかっこいい“天職者”との対談をお届け致します。
憧れの仕事に就く。そしてその仕事が“天職”となる。
そんな幸せな人がこの世にどれくらいいるのでしょうか?

MD応援企画第2弾“天職”では、毎月1回、最高にかっこいい“天職者”との対談をお届けします。
バリバリのビジネスマンはもちろん、転職や就職を考える若者にも読んで頂きたい。
日本には、かっこいい“天職者”がたくさんいます!

Vol.3


NHK大河ファンタジー『精霊の守り人』の造園を手掛ける
西田敏行さん。幼なじみからの依頼ということで、
取材拒否を解禁し、初のインタビューに応えてくれました。

西田 敏行 / Toshiyuki Nishida
造園造形師

≪経 歴≫
1976年、横浜生まれ。
高校時代、俳優を目指し、養成所に通うも、セリフが覚えられず断念。
 
18歳の頃より、NHKドラマの日本庭園を手掛ける父・西田敏明のアシスタントとして、造園造形の基礎を学ぶ。
20年以上に渡り、大河ドラマ、朝の連続テレビ小説ドラマなどのNHK番組他、映画、CM、アーティストPVなど、数々の日本庭園を手掛ける。特に、映画『武士の一分』『舞妓Haaaan!!!』『ハナミズキ』では、その美しさを業界内外より高く評価される。
現在は、大人気シリーズNHK大河ファンタジー『精霊の守り人』で造園チーフも務める。

*幼なじみなのでタメ口でのインタビューとなっております。ご了承ください。

~西田敏行改め、西田敏郎~

 MD宮崎

やはり、名前エピソードから聞きましょうか? 同姓同名について。

 西田

だね。 子ども頃は、本当に嫌だった~ 入学式とか、卒業式とか、名前呼ばれる度に、場内がザワつくの。 あれは嫌だったね。 しかも、字まで同じだから。

 MD宮崎

ちなみに、親が“西田敏行”さんのファンだったとか?

 西田

違うらしい。俳優の西田敏行さんのことを全く知らないで名付けてしまったらしくて。
でも大人になってからは、いいことしかないよ。あんなに凄い人と同姓同名なんだから、得することばかり。ちなみに本人にも会えたからね。
だいぶ昔の話だけど、高校時代に俳優目指している時に、ちょい役をもらって出たドラマに、本家・西田敏行さんが出演されてて、さすがにエンドロールで同じ名前が出るのはマズかったみたいで、西田敏行さん本人に「名前変えて」って言われて、もちろん即改名・・・“西田敏郎”になった(笑)

~父たちが積み上げた技術や感性は、次の世代にも伝えたいです~

 MD宮崎

『造園』の道を歩むことになったのは、もちろんお父さんの影響だよね?

 西田

ん~今思えば、そうだけど、その頃は食べていくために、アルバイトとして始めたからね。
こんなに続けるとは思っていなかった。

 MD宮崎

父・敏明さんって、めちゃめちゃ怖いよね?

 西田

そう? 変わってはいるけど。(写真を見れば、変わっていることは分かります)
でも、この業界が長いからね。大河ドラマが始まる時から、ず~と日本庭園作ってるから、この仕事に関しては凄い人だと思う。凄い技術と凄い感性を持っていて、そういった凄いことを、本当は自分たちの世代がしっかり受け継いで、次の世代に教えていかなきゃいけないんだろうけど、なかなかそこまではね。

“LEDになってから眩しい!”と、サングラスをかけてテレビを観る、父・敏明さん(許可を得て掲載しています)

~監督やデザイナーの理想は、必ず叶えてあげたい~

 MD宮崎

20歳ぐらいの時から、西田は棟梁って感じだったよね?

 西田

あの頃は天狗だったからね~何も分かっちゃいないのに、とりあえず仕事はたくさんあったから、それを日々こなしていただけなのに、何でも自分でやれる気になっちゃってたね。若造の分際で、NHK(渋谷放送センター)の近くに高い家賃のマンション借りて、仕事して、遊んで、荒ぶってたよね。
宮崎も覚えているでしょ。あの頃の天狗な俺。で、大人たちから干されたから。

 

再スタートを切る時に、お世話になった造園会社さんで、映画の世界を知ることになるんだけど。
それこそ入社3日目で『武士の一分』のチーフになった時はビビった。とりあえず全力で向き合い、がむしゃらにやり続けて、そしたら助けてくれる人もたくさん出てきて、本当に真面目に仕事に向き合った。それまでは、俺は何でもできる~! みたいな生意気な部分があったと思うけど、あの時から、監督さんやデザイナーが何を表現したいのか、そのためにどうやって俺たちの技術を活かせばいいんだって。
俺、バカなんで、上手くは言えないんだけど・・・依頼者の理想は必ず叶えてあげたいし、何ならもっといいモノを観せたいし、感動してもらいたし。たぶん、あの29歳の時に、頑張り方が変わったのかな。
調子に乗った若造が、ようやく仕事をし出した、みたいな感じ。とにかく真面目だった。

 MD宮崎

西田が絡んでた映画はかなり観てきたけど、何が印象的でした?

 西田

その『武士の一分』は、本当に有難かったかな。その後で言うと、『舞妓Haaaan!!!』や 『バブルへGO!!』
あとは宮崎が大好きな『ハナミズキ』も思い出深いかな。

造園造形師・西田敏行の技術は、テレビや映画の世界を飛び出し、様々な業界からもオファーが殺到しています。毎年、東京ドームで開催される
大型展示会『テーブルウエア』『世界らん展』や、大人気の『ジブリ展』など、彼の技は、たくさんのシーンで見れるようになってきました。

~イタリアのプッチーニ・フェスティバルは、
ド根性で乗り切りました!~

 MD宮崎

西田のキャリアの中で、最も熱い現場は?

 西田

イタリアのプッチーニオペラのフェスティバルで、特大の“桜”を咲かせたんだけど、その時は不眠不休!イタリアの職人さんたちと一緒にやったんだけど、イタリア語は分からないし、現地で集められた職人さんたちは、造形のプロじゃなかったし、まぁ~ド根性。
でも、開演前、単なるセットだけの状態を見たお客さんから上がった大歓声は、感動もの!
自分の作品が、イタリアみたいな目の肥えた国に認められたというか。それまでに味わったことのない鳥肌だった。まぁオペラとか、よく分かんないけど。

~こんな楽しい仕事は他にないから、
若い人にも興味をもってほしい~

 MD宮崎

この仕事で大切にしていることは?

 西田

さっきも言ったけど、監督さんやデザイナーの理想を必ず形にする。これは絶対。
ダメ出しされた時に、“言われた通りにやりました”とか、“指示通りですけど”みたいなことを言う人がいるけど、それはプロじゃない。
もしかしたら、発注書とかデザイン画とかには忠実かもしれないけど、それは単なる紙であって、監督さんやデザイナーの想いや理想を形に出来ていない以上、それは仕事をやり遂げたことにはならない。
お金を頂いて、プロとして受けている以上は、形にした時にしっかりと評価されなきゃいけないし、俺は専門家として、監督さんやデザイナー、そしてお客さんの理想を常に越えていたいと思っている。
だから、毎回、同じ庭は造らないし、同じ造形もない。毎回チャレンジできる!
その楽しさを感じることができたのは最近だけどね。こんなに楽しい仕事は他にないから、若い人たちに興味を持ってもらいたいね。

 MD宮崎

若者たちは、どうやったら、この仕事に就けるの?

 西田

電話くれたら、明日から働けますよ(笑)


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