Voice #7
- 高校の時からずっと川崎市が拠点。川崎“愛”は半端ないです!
MD:昔からトランポリン一筋だったんですか?
中田:
いや、そうでもなかったですね。父親がトランポリンの指導者だったんで始めましたけど、小さい頃は“やらされている感”が強くて、サッカーの方が好きでしたね。キャプテン翼世代なので、オーバーヘッドキックも宙返りしてリアルにやってましたからね(笑)一度だけ、中学生の時にトランポリンを辞めたことがありましたけど、すぐに飛びたくなっちゃって、わずか2週間でトランポリンに戻りました。
でも戻ったからといって頑張る訳でもなく、平凡な成績が続いてましたね。ただ、中学の最後の大会(全日本ジュニア選手権)でたまたま3位になっちゃったんですよ。そしたら、すぐに東京の高校・大学から声が掛かってしまい、石川県からいきなり単身で出てきました。しかも寮がなかったので、この辺(川崎市)の風呂無しの安アパート暮らしを始め、知り合いもいないし、1人生活も初めてだし、孤独でした。
だからトランポリンしかなかったんですよね。日々トランポリン漬けで、高校入学して4ヵ月後のインターハイですぐに優勝して、日本代表にもなって。一生懸命やることで、こんなにも変れる!って感じた時期で、あの頃の頑張りは今に繋がっていますね。
MD:では、徐々に高校生活も楽しくなったんですか?
中田:
いやいや、高校は大変でしたね。今だから言えますけど、喧嘩の日々でした。実はあの高校3年間は後悔してますね~もっと楽しい高校生活を夢見てたので。だから、余計にトランポリンしか自分には無かった感じでしたね。トランポリンの練習と自宅・川崎の往復でした。その頃から川崎在住だったので、今や石川県よりも川崎市の方が長いですからね。川崎市のバックアップって凄くて、スポーツパートナーシップに認定頂いて、練習場を提供してくれたり、本当に川崎のおかげでここまで競技を続けてこれていますね。これからも当分、川崎から出る気もないです!
- トランポリンって、オリンピックに出場することが最も難しい競技なんです
MD:昨年のリオ五輪にも、日本代表のコーチとして帯同されてましたね。
中田:
そうですね。日本は、ロシア、中国と並んで強いので、昨年も2名の出場枠を取れてました。
でも知ってますか?トランポリンって、世界でたった16人しか出れないの?
MD:世界で?アジア枠とかではないんですか?
中田:
そうなんですよ。五輪前の上位ランカー16人だけしか出場できないので、最近はロシア、中国、日本で2枠ずつ、あとの10枠を世界で争っていて、国内でトップになっていても、世界で勝たないと出れないんです。しかも私が出場したシドニー五輪の時は、わずか12枠でしたからね。
これって日本では意外と知られてないんです。五輪に出るだけでもひと苦労なんですよ、トランポリンって。
MD:中田さんが出場されたシドニー五輪のことも聞いてもいいですか?
中田:
・・・あまりシドニーのことは外では話してないんです。未だに当時の映像は見ないようにしていますし。
当時は、世界ランク2位でしたから、メダルを期待されていて、五輪前はたくさんの取材を受けてました。
自分の性格なんでしょうね~無理しなければ、銀や銅は取れていたと思うのですが、どうしても金メダルを取りたかったので、世界で自分にしか出来ない難易度の高い技を挑んでいて、現地入りしてからの練習の時に、トランポリンから大きく外れて、8mの高さからコンクリートに落ちてしまって、足のかかとを粉砕骨折してしまったんです。それでも強烈なステロイド注射を何本も売って、強行出場したんですが、結果は12人中12位、散々でしたね。
メダル獲って引退する!って気持ちでしたからね・・・ただただ絶望でした。
しかも帰国したら、取材はゼロでしたから。でもここが自分の人生のターニングポイントだったかもしれませんね。その後、全日本選手権で再び優勝し、競技だけでなく、テレビ番組(筋肉番付)や舞台(マッスルミュージカル)にも出演するようになって、さらにトランポリンをもっともっと広く知ってもらいたくなって、何足もワラジを履き出したのがあのオリンピック後でしたね。
- 後にも先にも、また全世界を見ても、30年現役を続けてるトランポリンプレイヤーは僕だけですね
MD:今でも競技者として大会に出場されてますけど、その筋力はどのように維持されているんですか?
中田:
ず~と深夜練習は続けてますね。どんなに疲れてても、マッスルミュージカル時代は昼夜2公演やった日でも、深夜練習は欠かしたことがないですね。やっぱり続ける以上は自分自身、納得した演技をしたいし・・・まだできちゃうんですよね~ もちろんコーチになったからとか、強化本部長になったから、選手を辞めなければならないっていう決まりがあるなら、現役引退も考えますけど、まだまだ出来る気がしますし。
MD:トランポリンの選手寿命って、そんなに長いんですか?
中田:
いや短いですよ。僕以外で、数十年続けている人なんていませんからね。後にも先にも、全世界見てもいないと思います。日本国内の大会によく海外選手が出る時があるんですが、私が競技者としてエントリーしていると “お前、まだやってんのか!?”ってビックリされますから。
MD:大会に出場されている時は、選手?それともコーチの心情ですか?
中田:
ん~自分の競技中はもちろん選手ですけど、他の選手の競技を見ている時は、コーチになっていますね。
俺なんかに負けたら、代表に呼ばないぞ!って言いますから。
でも嬉しいですよね。自分よりも下にランクしていた若い選手が、自分を抜いて上位にいくと成長も感じることができて。現役で競技を続けているからこそできるアドバイスみたいなものもあって、これは指導者になった今の自分の売りでもありますね。
- 自分のスタジオが持ちたいです
MD:中田さんの今後の野望は?
中田:
やっぱり自分のスタジオが持ちたいですね~ 子供だけでなく、大人も通えるトランポリンのスタジオ。MDさんもそうですけど、40歳越えたら、自身の健康のことをもっと真剣に考えるべきです。そんな普段の生活や健康に関しても、トランポリンを通して何か役に立ちたいですね。
でもトランポリンって、天井が高くないと出来ないので、普通のエアロビとかダンスのスタジオみたいに物件がないんです。MDさんの周りで、企業の倉庫や体育館みたいな場所に空きがあったら、ぜひ紹介してください!
MD:了解しました。私も電波張っておきます。