M Direction

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【MD応援企画】

トップアーティストの生声 #3

この夏スタートする M Direction を応援するべく、10人のアーティストがメッセージ
毎週月曜日、M Direction ゆかりのアーティストのミニ対談がアップされる

『将来の夢は、土日休みの会社に入って“けん玉”を続ける』と小学校の卒業アルバムに書きました。

伊藤 佑介 / プロけん玉師

通算10度のけん玉日本一に輝き、ギネス記録も2つ保持する名実ともに日本を代表するエンターティナーの1人。 けん玉に魅せられ、けん玉とともに悩み続け、そして世界初の“プロけん玉師”となった、けん玉一色の人生を振り返って頂きました。全ての質問が、全てけん玉によって答えてしまう。 そんな“けん玉愛”に溢れるミニ対談になりました。

伊藤佑介 プロけん玉師

Voice #3

- 今年は、飛鳥に乗ったり、7月にはモスクワに行きます

MD:プロけん玉師には、どんな仕事があるのですか?
伊藤: 週末は屋内外、様々なイベントに出演したり、平日は企業さんやホテルさん、教育機関さんに呼んで頂いたり、あとは、けん玉教室やレッスンで講師をしたり、本当にいろいろです。 昨年は、エピナール那須というホテルで45日連続ショーもしました。 今年は数年振りに、飛鳥(豪華客船)に乗ってパフォーマンスさせて頂きます。 あと7月には、ロシア大使館にお声掛け頂いて、モスクワでショーとワークショップをしてきます。

MD:やっぱり人気ですね!
伊藤: そうですね。ありがたいことに、国内・海外問わず“けん玉”の人気はありますね。 近年は、“けん玉”人口が増えましたからね。特に若者が増えましたね。

伊藤佑介さんphoto1

- 思春期の頃の“けん玉”ってキツかったですね

MD:“けん玉”はいつから始めたのですか?
伊藤: 小学2年の時、地元に『日野けん玉道場』が出来て、そこに通い始めてから、ず~とやってます。 道場と言っても、初めは、先生と兄と僕だけの3名でしたけどね(笑) 小さい頃は、寝ても覚めても“けん玉”でした。公団の狭~い家で、1人で黙々と“けん玉”しながら階段を上がり下がりしてました。小学校の社会科の授業で地理をやってる時も、神奈川県にはけん玉名人のマタノくん、山形県にはシカマくんがいる・・・ そんな覚え方して、先生から怒られたこともありましたね。

MD:“けん玉”を辞めたいと思ったことはなかったんですか?
伊藤: ないんですよね・・・小さい頃、試合に負け続けた時に大会に出たくないな~と思ったぐらいはありますけど。ただ、思春期の時は“けん玉”を周りに見せることは、恥ずかしかったですね。 僕の学生時代は“けん玉”なんて認知されていなかったので。でも本当に“けん玉”が好き過ぎて、常に持り歩いていて、初めて行く場所では、その第一歩目を“けん玉”とともに踏み入れたくて、カバンの中に隠していた“けん玉”をギュッと握りしめて、 第一歩目を踏んでましたね~
今思えばどうってことないことなんですけど、中学・高校とかは、ず~とそんな恥ずかしさと戦っていましたね。 大学になった時に、周りのみんなが『へぇ~、けん玉~?』って、気さくに笑ってくれたんですよ。それで解放されたのは覚えてます。

- ブルーハーツをよく聴いてました

MD:“けん玉”以外で、ハマったものはあるんですか?
伊藤: 学生時代は、ブルーハーツをよく聴いてました。ブルーハーツって反社会的な曲ばっかりじゃないですか。 僕は全然、反社会的ではないんですけど、“けん玉”が周りに受け入れてもらえない感情と重なって、勝手に共感してましたね(笑)
MD:結局、“けん玉”繋がりですね(笑)

伊藤佑介さんphoto2

- 土日休みで“けん玉”を続けたい!そんな夢を叶えるために、公務員試験を受けました。

MD:学生を卒業して、すぐにプロけん玉師になったのですか?
伊藤: いえ、子どもの頃からの夢だった『土日休みの会社に入って“けん玉”を続ける』それを叶えてくれる会社と言えば、公務員だと思い、公務員試験を受けました。 それで受けたのが、“けん玉”発祥地と言われる広島県廿日市の試験で、公務員にもなれて、発祥地なら“けん玉”の文化にもず~と触れられて、こんな素晴らしいことはないな!と、とても安易な気持ちで受けました。しかも試験前日、大阪での『けん玉大会』に行くついでに広島に行きましたから、ナメてましたね~(笑) 案の定、結果は不合格で、公務員にはなれませんでした(笑)

大学卒業後はどうしようかな~と思っていた頃、与那国島で『塩』会社を始めていた母に会いに行ったんですね。そしたら、本気で働く母の姿が凄いカッコよかったんですよ! 48歳にして、再び働き出し、真っ黒になりながら真剣に向き合ってる姿を見て・・・ 俺も、本気で“けん玉”やりたい!って思って、東京に戻って、すぐに公務員試験の参考書とか全て捨てて、ひたすら“けん玉”で飯食うために頑張りました。大学卒業後、深夜バイトしながら1年経った頃、ようやく“けん玉”だけで食べていけるようになり、“プロけん玉師”と言ってもらえるようになり、それから15年間、【職業・けん玉師】として生きてこれてるので、本当によかったですね。

伊藤佑介さんphoto2

- MDさんはとにかく熱い!

MD:M Directionとの仕事はどうですか?
伊藤: とにかく熱い!
多分、私と同じなんですけど、MDさんは本当に好きな仕事してるじゃないですか。だから、打ち合わせしていても、現場でも、とても本気度が高くて、こっちもスイッチ入れないと付いていけないぐらい、MDさんは常に熱い人ですよね。
MD:いつも熱い訳じゃないですよ。かなりグダグダな時もありますから。
伊藤: MDさんの熱い現場、今後も楽しみにしています!

現在、日本には“けん玉”を職業とするパフォーマーはわずか3組だけ。 その先駆けの伊藤さんは、日常の全てが“けん玉”を中心に回っていて、言動全てに“プロ”を感じます。 若手には僕より凄いけん玉パフォーマーは、たくさんいますから・・・と謙遜する伊藤さんですが、技の披露合戦重視の若手よりも、お客様の笑顔や喜び、そして“けん玉”の楽しさを体感させてくれる伊藤さんのステージは、プロとアマの違いを強烈に感じさせられます。

“プロけん玉師・伊藤佑介”のショーとレッスンが同時に体感できる6/25(日)キッザニア東京のエンタメフェスが今から楽しみです。

川原拓也さんphoto5